長野正作が思うこと!

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zoom RSS 戦後70年を迎え終戦前後の思い出!

<<   作成日時 : 2015/06/01 15:49   >>

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昭和19年夏、小学校学校3年生の時、高知県土佐佐喜浜町まで貨物船に乗り1週間を要して縁故学童疎開をしました。
山、森、海、川、畑などのどかな風景の中、1年間を過ごしました。
4kmある小学校へ通学しておりましたが、海岸の砂浜での学校の帰り途中
艦載機の襲撃を受け松林へ逃げ込んで助かりましたが、恐ろしい目に合いました。
また、夜、町へ焼夷弾が落下、周囲は真昼のごとくで花火を眺めているようでした。
恐ろしさを目の前で体験したものです。
昭和20年8月ラジオ放送で終戦を知る。やれやれという思いでした。
戦争が終わり大阪へ帰ることに、土佐から徳島、愛媛、宇高連絡船経由、岡山へそして
数日かかり大阪十三へ無事帰宅した。後で聞きましたが親父は息子を無事帰宅させるのに
必至であったとのことでした。
十三は焼け野原で戦争の恐ろしさを実感しました。自宅は焼けずにありました。
大阪十三での小学校時代は、皆貧しく、食事も粗末なものでしたが、
草野球(布のグローブ)や淀川、学校プールでの泳ぎ、貸本、貸し自転車など色々な遊びで懐かしく、楽しく過ごしたことを思い浮かびます。当時、いじめや、嫌がらせもなかったし、皆が自然に集まり、朝から夕方まで仲良く良く遊んだものです。
今、安保法制、集団自衛権など論議されていますが、振り返ると戦争は絶対嫌だが、
楽しい日々が送れた、あの時代の心は失いたくないものです。
現在の繁栄には無い何かがありました。今後も平和で明るい生活を望む毎日です。
昭和19年夏、小学校学校3年生の時、高知県土佐佐喜浜町まで貨物船に乗り1週間を要して縁故学童疎開をしました。
山、森、海、川、畑などのどかな風景の中、1年間を過ごしました。
4kmある小学校へ通学しておりましたが、海岸の砂浜での学校の帰り途中
艦載機の襲撃を受け松林へ逃げ込んで助かりましたが、恐ろしい目に合いました。
また、夜、町へ焼夷弾が落下、周囲は真昼のごとくで花火を眺めているようでした。
恐ろしさを目の前で体験したものです。
昭和20年8月ラジオ放送で終戦を知る。やれやれという思いでした。
戦争が終わり大阪へ帰ることに、土佐から徳島、愛媛、宇高連絡船経由、岡山へそして
数日かかり大阪十三へ無事帰宅した。後で聞きましたが親父は息子を無事帰宅させるのに
必至であったとのことでした。
十三は焼け野原で戦争の恐ろしさを実感しました。自宅は焼けずにありました。
大阪十三での小学校時代は、皆貧しく、食事も粗末なものでしたが、
草野球(布のグローブ)や淀川、学校プールでの泳ぎ、貸本、貸し自転車など色々な遊びで懐かしく、楽しく過ごしたことを思い浮かびます。当時、いじめや、嫌がらせもなかったし、皆が自然に集まり、朝から夕方まで仲良く良く遊んだものです。
今、安保法制、集団自衛権など論議されていますが、振り返ると戦争は絶対嫌だが、
楽しい日々が送れた、あの時代の心は失いたくないものです。
現在の繁栄には無い何かがありました。今後も平和で明るい生活を望む毎日です。
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